バカにされたら道化になる

私は「奇妙」な行動故に小馬鹿にされることが多い。いや、私はいたって真面目なつもりなのだが、奇妙に見えることが多いらしい。そんな経験は誰でも多かれ少なかれあるだろう。人に笑われたらいちいち喧嘩をふっかけてきた。だがいつ頃からか、私は奇妙な自分をより誇張して人を笑わせるようになった。すると、ますます私は本当にいい加減でプライドのない人間のように思われるようになった。まるで雑に人生を生きているように見えるのである。ひどい場合、見下されたり、こいつよりはマシだと思われるのだ。だが私は心の中ではほくそ笑んでいる。なぜか。

 

理由は2つ。まず、人から期待されなくなるので自分に対するハードルが下がる。これは非常に楽なことで、あいつだからしょうがないかと思われるようになるのだ。また人の目を気にしたり、変なことに労力を割かなくてすむようになる。2つ目は相手が油断して自分の素をさらけ出すようになる。だめな部分を私に見せるようになるのだ。すると人の悪口や凝り固まった偏見、噂話や秘密が私のところに集まってくる。人のことがよく見えるようになる。だが私は決して、その状況に甘えたり、甘んじるつもりはない。人からバカにされても楽を得て、さらに世の中をよく見る目を得ているのである。道化のように振る舞うことによる副反応が懸念されるが、ないと言い切れる。なぜなら良くも悪くも私は自分に自信があるからだ。私の奇妙さを理解できずにバカにして油断している人間を心から見下せるのである。まるで大きな釣り針にかかった魚を見るような目で。これが私が心の中でほくそ笑むことができる理由だ。

 

もちろん私のことをよく理解してくれる人もいる。バカにせずに評価してくれる人間がいる。妻もその一人の人間だ。そんな人間には心が許せるのである。世の中は広いので、必ずどこかにそんな人はいるものだ。

 

相手はいつか馬鹿にできない私を見ることになる。そのときどんな顔をするんだろうか。そんなことを思ってさらにほくそ笑む。逆に人のことを薄っぺらな価値観で面白がって小馬鹿にすることが、いかに頭の悪さを晒す行為なのかについては自覚的でありたいと思う。

デュー・デリジェンスってなんだ

www.youtube.com

 

宮台真司が復活した。よかったよかった。

 

デューデリジェンスって言葉、初めて認識した。ウィキペディアによると「企業などに要求される当然に実施すべき注意義務および努力のこと」らしく投資の世界では投資先の価値やリスクを調べることをいうらしい。ビジネスの世界では、サプライチェーン上に人権問題がないか調べることだとかEUでは義務化される流れにある。グローバル規模で資本主義が展開される中で、企業が自社の関わる全ての活動に対して人権上の責任をもつことは当然のことだ。一方日本では。。。

 

同じような話を思い出した。大学にハラスメント防止のポスターがたくさん貼ってある。しかし、一般の教員はもちろんのこと上層部の人間までも上(国)からのお達しのためにしょうがなくやってる感がすごい。なにか授業中にまずいことを言ったあとには「今はコンプラがうるさいから、この辺にしとこう」といって笑う。できない研修医に対する暴力を、さも普通だと言わんかのような発言をしたりするのである。上に言われたから、問題になると面倒だから、という外圧からで動いているのだ。つまり価値基準、哲学がないのだ。宮台真司は日本社会はどこを切っても同じ金太郎飴だと言うが、まさに大学上層部の人間も同じ思考回路だろうし、指導する立場にある役人もそうなのだろう。人権問題も国連がうるさいから守るだけで、決して自発的には動かない国なのだ。

 

いまの若い人たちは違うはずだ、と信じたいがどうやら周りを見渡しても金太郎飴しかいないような気がしてならない。

 

 

 

インスリン太る?痩せる?問題

natgeo.nikkeibp.co.jp

オゼンピックとかいう薬がアメリカで品薄らしい。もともと糖尿病の薬だが痩せ薬としても流通している。セマグルチドというのが正式名称で、最近では経口薬としてリベルサスという商品名でも広く知られている(オゼンピックもセマグルチドの商品名で注射薬だ)。セマグルチドは「GLP-1受容体作動薬」というくくりの薬である。GLP1は消化管ホルモンでGIPとともにインクレチンという名前で古くから知られている。インクレチンは膵臓のβ細胞にはたらきかけてインスリンを分泌させる。セマグルチドはGLP1の受容体に作用することでインスリンの正常な分泌を助ける。この薬の投与によってインスリンの分泌不全や抵抗性によってインスリンの作用が不足する2型糖尿病が改善されるというわけだ。糖尿病の薬には合成インスリンを直接投与したり、β細胞のATP依存性カリウムチャネルの遮断によりインスリン分泌を促すスルホニルウレア、またGLP1を分解し不活性化するDPP-4を阻害することでインスリン分泌を維持するDPP-4阻害薬などが知られているが、これらの薬よりも何かと使い勝手がいいのがGLP-1受容体作動薬、セマグルチドらしい。

www.diabetes.co.jp

https://www.jstage.jst.go.jp/article/tonyobyo/52/6/52_6_415/_pdf#:~:text=%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%81%E3%83%B3%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%81%AF,%E5%88%86%E6%B3%8C%E3%82%92%E4%BF%83%E9%80%B2%E3%81%99%20%E3%82%8B%EF%BC%8E

www.j-endo.jp

dmic.ncgm.go.jp

kanri.nkdesk.com

ここまでがお勉強の話だが、ここで一つ疑問に思ったことがある。それはインスリンは痩せるのか、太るのかという単純な問いである。複雑な人体の仕組みを、太る痩せるという二元論で考えるのは非常にお粗末な議論だと思うが、単純に考えると矛盾していたりして、そういうのをスルーできない性格だから、どんどん深みにハマってしまった。そこでググったりして自分なりに整合性をとってみた。あくまでも以下に記すことは、自分なりの思考&ググるを繰り返した記録である。そのため現時点の理解でしかないので正しい保証はゼロです。後日、生理学の先生にも聞いてみようと思う。

 

1.まず思い浮かぶのが糖尿病患者というと太っているイメージがある。インスリンを作れないと太るということか。つまりインスリンは痩せるということか?

 

→そもそも太っている人が糖尿病になりやすいのであって、糖尿病になると太るわけではない。順番が逆である。太っている人は脂肪が多くて、脂肪がインスリンの働きを阻害するため糖尿病になる。逆に、糖尿病患者は急に痩せる人がいる。それはエネルギー源であるグルコースの正常な代謝インスリンは解糖系を促し、糖新生を抑制する)が行われず体を傷つけながらおしっこに混じって出ていく反面で脂肪やタンパク質からエネルギーを取り出すから急に痩せるというわけだ。糖尿病患者はインスリンを増やすことで正常な代謝バランスを取り戻すことができる。すなわち太る痩せるアホバカ二元論においてはインスリンは太ると考えるのが妥当である。代謝の観点から言えばだが。

www.healthcare.omron.co.jp

2.ではなぜセマグルチドは痩せ薬として有用なのか?

 

→たしかに1のインスリンは太るという理屈ではおかしい。(もっとも太るという表現は結果論で病的に痩せているのを正常なバランスを取り戻すことで元に戻したというだけだが、ここではインスリンは太るで通すことにする。)これは代謝という観点のみだけで見ているからだめなのである。インスリンには食欲を抑える効果があるので痩せるのである。なんと単純な話ではないか。そうだ、インスリンはお腹いっぱいのときに出るホルモンだ。満腹→インスリンという一方向ではなく満腹↔インスリンと考えればいいのだ。1の「糖尿病患者はインスリンを増やすことで正常な代謝バランスを取り戻すことができる。」だけでなく、おそらくそれ以上に食欲減退によって、痩せて脂肪を減らすことで、インスリンの作用を改善するのだろう。

okada-dmcl.jp

 

そういえば、db/dbマウスとかいうマウスがいる。みんなデブデブマウスとかって呼んでいるけど、dbでdiabetesの略である。レプチンレセプター欠損モデルマウスなんだけど、こいつらも満腹感を得られないからデブになるんだよね。

www.yodosha.co.jp

 

 

 

 

 

 

折口信夫やばい

深夜にもそもそ起きて携帯をいじる場合たいていはウィキペディアにたどり着く。なんとなく「折口信夫」にたどり着いたが、これが面白いので紹介したい。なおソースはすべてウィキペディアなので真否は不明です。

 

ja.wikipedia.org

 

折口信夫については名前を聞いたことがある程度しか知らなかったが、読ませる内容であった。折口信夫柳田国男に次ぐ偉大な民俗学者で、「折口学」なる分野の開祖である。とくにマレビトという概念が有名らしい。民俗学郷土史に興味があるので、彼の業績については今後も調べたいが、今回は彼の経歴や男色家としての逸話が面白すぎたのでそれに焦点をあてたい。

 

代々婿をとる折口家に生まれた。幼い頃から歌が好きな少年であった。親には医師になることを勧められ、三高を受験することになるが受験前日に新設の國學院大學予科を受験することを決める。これが大きな人生の決断であった。彼は周囲に流されず、文学を極めることを選んだ。もっとも彼は理数系で落第していたので三高は難しかったかもしれないが、好きなことに真っ直ぐな生き方には学ぶところがある。中学教師などを経て、母校の教授となり折口学を完成させる。博士号を授けた五人を五博士といって可愛がったという。問題はここからである。彼には愛人で婿養子(←!?)である教え子がいたらしい。また弟子の一人に同衾(ここで初めて知った言葉だ(笑))を強要しようとしたという。『同性愛者である折口から「森蘭丸織田信長に愛されたということで、歴史に名が残った。君だって、折口信夫に愛された男として、名前が残ればいいではないか」と迫られ、同衾を要求されたため名古屋の実家に帰郷。(加藤守雄wikiより)』大学教授の権威が今とは比べ物にならない時代に酷い話だ。真実ならばだが。また柳田国男には「加藤君、牝鶏(おそらく鶏姦の意)になっちゃいけませんよ」たしなめられたという。また双子の弟達は腹違いであったりと闇深だ。コカインを常用して論文を書いたとか、いろいろと狂っている。

 

偉人がどのような経歴で、名を成したのかは非常に興味深い。伝記を読んでも偉人になれる訳では無いが、彼らの生き様を追体験することで、人生において何が大切かを学べる。子育てにも役立つ(?)と思う。

生化学メモ1

解糖系は、グルコースをピルビン酸まで嫌気的に分解する反応である。高校生物ではサラッと流されるが、11種類の酵素が関与する非常に複雑な反応である。以下の点を注意して理解するとよいという個人的なメモ。

 

1.炭素数、炭素骨格とリン酸基を追いかけると覚えやすい。リン酸化する酵素であるキナーゼが4つ(HK/GK,PFK-1,PGK,PK)出てくる。リン酸基の出どころはATPを加水分解するわけだが、リン酸基が取れるのに「キナーゼ」という名前を冠しているものがある。これは逆反応に対してついている。すなわち逆にATPを合成する反応である。これを理解していると3の理解も促される。

 

2.不可逆反応がどこか、意識する。不可逆的な反応があるから一方向に反応が進むのである。また糖新生への理解につながる。糖新生は解糖系とは逆にピルビン酸からグルコースを作る反応だが、このとき不可逆反応をいかにして戻るのかに注意できるようになる。

 

3.解糖系ではグルコース1分子からATPとNADHが二分子ずつ作られる。ATP合成は1を理解していれば、容易に覚えることができる。またNADHはピルビン酸から乳酸を作る反応と共役していることを意識する。

 

4.アロステリックエフェクターとホルモンによる調節を意識する。(フルクトース-6-リン酸という同じ分子から作られるフルクトース1,6ビスリン酸とフルクトース2,6ビスリン酸がホルモンによって巧妙に調節されているのは非常に興味深い。)

 

5.PKA(プロテインキナーゼA)には基質を直接リン酸化して酵素活性を変えるはたらきと、転写因子(CREB)を介して転写活性を変えることで酵素合成量を変えるはたらきの2つがある。

 

手塚治虫すごい

www.youtube.com

 

マンガを買ってもらえなかったので、みんながワンピースを読んでいる中で、図書館に置いてある手塚治虫を読んで育った。古いマンガだったが、当時中学生の私には非常に刺激的な内容であった。また、根底に流れるヒューマニズムに強く影響され、一時は漫画家を志したほどである。漫画家にはなれなかったが、手塚マンガは私の暗い青春時代に一筋の光を与えた。そんな私が尊敬してやまない手塚治虫のドキュメンタリーをみた。締切に追われてとても忙しそうだ。見ているこっちがしんどくなる。今回、この動画を通して新たにがむしゃらに生きることの素晴らしさについて考えてみた。

 

私の中には「のんびり神話」が根強く存在する。無理をしたら長く走れない。ゆっくりやればいいじゃないか(実際先生は激務ゆえに60歳で亡くなっている)。発想やアイディアはたっぷり時間のある中で生まれるものだ。だがその神話は本当に正しいだろうか?成功者はたっぷり時間をかけたから成功したのだろうか?いや、むしろひたむきに走り続けてきた結果ではないだろうか。急かされてがむしゃらに走る中でしか到達できない境地があると思う。余裕を持つということは聞こえはいいが、ともするとダラダラするだけのことになる。「のんびり神話」は凡庸な人間がサボりたいだけの言い訳かもしれない。

 

定年を迎えると仕事がなくて寂しいという話はよく聞く。あれほど、ゆっくりしたかったのにもかかわらずだ。これは大きなジレンマである。よっぽど有能でない限り仕事が向こうからやってくることはないし、そもそも体力も気力も落ちるものだから忙しくしたくてもできない。私は手塚先生のようにいつまでも人から、社会から求められる人間になりたいと思う。年を重ねるにつれて人生を楽しくパワフルなものにしたい。いつまでも輝いていたいものだ。そのためには、今という瞬間をがむしゃらに走ることで一生の仕事につながる種を見つけておきたい。多少の無理を通して頑張ることは大事だと思った。

先生とは何かを考える

私は大学の研究室で、ある教員から実験の手技や論文のまとめ方など研究者としての必要な知識を学んでいる。彼は授業がうまくて、人に教えるのも上手だと自分で思っている。確かに整ったスライドを作るのはうまいし、授業も簡潔だ。また実験の手つきもそれなりに良い。だが私は彼のことを先生だと思ったことはない。なぜなら、彼から学問や人生に対する姿勢や価値観を学んでいないからだ。そもそも見習えるような点がない。頻繁に生徒の前で、上司である教授を「実験手法が時代遅れで無能だ」とか[脳に欠陥があるんじゃないか」とか馬鹿にしたり、生徒の成績の良し悪しで、生徒の人間性までを含めて優劣で評価をするような発言を繰り返している。見習えるはずもなく、良くて反面教師だ。

 

私にとって先生とは、調べればわかることや経験を積めばできることを教えてくれる人ではない。それはバイトリーダーと変わらない。既存の知識を噛み砕いて生徒に紹介することは、先生の業務の一つであろうが、それは本業ではない。先生の本分は、学問を通して人生の向き合い方を教えることだ。それが先に生きるということ。要するに愛とは何かを伝えることだ。伝達手段は言葉だけに限らない。生徒は先生の振る舞いをよく見ているものだ。愛というと大げさかもしれないが、一人の先生との出会いが大きく人生を方向づけることが多々あるので馬鹿にならない。

 

昨今、非常に分かりやすい解説書がたくさん書店に並んでいる。動画編集技術や編集ソフトの機能向上によって、ネット上には非常に分かりやすい解説動画が氾濫している。知識は学校の専売特許ではなくなったのだ。これは非常にいいことだと思う。またTEDのようなプレゼン能力の重要性が人口に膾炙し、物事をうまく伝えることを皆意識するようになった。それも素晴らしいことだ。だが、私は大学に、先生にそんなことは求めていない。学問はそもそも難解なものだし、先生というのは自分の好きなことについて好き勝手に話すものだ。お勉強したいなら、家でmedu4でもシコシコ見てろ。大学は専門学校ではないのだ。私が先生に求めるものは、一度聞くと、それに一生縛られるぐらい強力で危険なブツだ。ブチ込めるもんならやってみろと言いたい。