折口信夫やばい

深夜にもそもそ起きて携帯をいじる場合たいていはウィキペディアにたどり着く。なんとなく「折口信夫」にたどり着いたが、これが面白いので紹介したい。なおソースはすべてウィキペディアなので真否は不明です。

 

ja.wikipedia.org

 

折口信夫については名前を聞いたことがある程度しか知らなかったが、読ませる内容であった。折口信夫柳田国男に次ぐ偉大な民俗学者で、「折口学」なる分野の開祖である。とくにマレビトという概念が有名らしい。民俗学郷土史に興味があるので、彼の業績については今後も調べたいが、今回は彼の経歴や男色家としての逸話が面白すぎたのでそれに焦点をあてたい。

 

代々婿をとる折口家に生まれた。幼い頃から歌が好きな少年であった。親には医師になることを勧められ、三高を受験することになるが受験前日に新設の國學院大學予科を受験することを決める。これが大きな人生の決断であった。彼は周囲に流されず、文学を極めることを選んだ。もっとも彼は理数系で落第していたので三高は難しかったかもしれないが、好きなことに真っ直ぐな生き方には学ぶところがある。中学教師などを経て、母校の教授となり折口学を完成させる。博士号を授けた五人を五博士といって可愛がったという。問題はここからである。彼には愛人で婿養子(←!?)である教え子がいたらしい。また弟子の一人に同衾(ここで初めて知った言葉だ(笑))を強要しようとしたという。『同性愛者である折口から「森蘭丸織田信長に愛されたということで、歴史に名が残った。君だって、折口信夫に愛された男として、名前が残ればいいではないか」と迫られ、同衾を要求されたため名古屋の実家に帰郷。(加藤守雄wikiより)』大学教授の権威が今とは比べ物にならない時代に酷い話だ。真実ならばだが。また柳田国男には「加藤君、牝鶏(おそらく鶏姦の意)になっちゃいけませんよ」たしなめられたという。また双子の弟達は腹違いであったりと闇深だ。コカインを常用して論文を書いたとか、いろいろと狂っている。

 

偉人がどのような経歴で、名を成したのかは非常に興味深い。伝記を読んでも偉人になれる訳では無いが、彼らの生き様を追体験することで、人生において何が大切かを学べる。子育てにも役立つ(?)と思う。