賢者になりたい

試験勉強で忙しい。そんなときほど頭が活性化して、試験とは関係ないことが思いつくものだ。無駄にはてなを書きたくなる。私は頭が悪い。処理能力が低い。しかし興味関心は誰よりも強い。頭は良くないのに、世の中のことをよく理解したい、真理に到達したいという欲求が強いのだ。試験勉強はある一つのことが理解でないと進まない。普通ならば、まあ覚えりゃ点になるしいいか、ということも意地でも覚えたくない。なにか腑に落ちる理解があるはずだと。語源を探したり歴史を辿ったりする。でも真理に到達することはできない。暗記要素の多い医学部の勉強でも、なんで?を掘り下げると生物学→化学→物理学へと突き詰まっていく。そして沼にハマっていく。効率よく点数をとることに興味があまりない。時間配分や要領とは無縁だ。成果が挙げられずに、時間だけが浪費されていく。さらに医学のみならず社会で何が起こっているかにたいする興味も捨てられない。薄っぺらなニュースでは満足できない。法や政治経済、はたまた文学にまで手を伸ばしたくなる。小難しいYou Tube動画を探り、読みもしない書籍を買い込む。

 

どうして私はこうも割り切れない人間なのだろうか。疎遠となった親友一人を除き、まわりを見渡してもそんな人は居ない。インテリの集まる大学でもいない。テストの点数がどうだとかの話ばかりだ。世の中の真理を知るということはこうも苦しいものなのか。IQ的な頭の良さと、興味関心好奇心は全く関係しないところが辛いものである。

 

私一人が勉強しても社会に対した影響はない。だからほぼ無駄だ。でも世の中がどういう方向に向かっていようが、これが正しいと言える人間でありたい。今はなにも根拠がない。何も知らないから感覚で言っている。それが嫌だ。先人の考えを引用したい。それらを自分でまとめて、これからの時代を読みたい。そのためには文理を問わずに、さまざまな分野に精通している賢者、哲人になる必要がある。

 

生活もしていかなければならない。働かなければならない。ますます時間はなくなる。仕事と関係のないことを勉強している暇はより一層なくなる。民主主義はそんな人達で回っているから不思議だ。どんな医師になって、どう生きて行くのか。どうやって勉強し続ける時間を捻出するのか。ある意味楽しみだ。家族や身近な仲間を大切に、強くこの世の中を生きていきたい。そのためには勉強して賢くなりたい。