禅について

You Tube永平寺の僧侶たちの動画を定期的に見ては自分を戒めている。定期的に。

 

仏教は宗教の一つとして数えられるが、いわゆる一神教的な教えではなく、普遍的に存在する真理に気がつくことを目標としている。そういった意味では哲学に近い。

 

現在では葬式のときにやってくる坊さんのきな臭いイメージが強い。鎌倉以降、民衆による浄土信仰と為政者による政治利用が相まって広まった名残である。日本史を勉強すると坊さんはよく暴れている。比叡山の僧兵とか一向一揆とか。ある種一神教的な怖さがある。悟りを開くために修行しているはずなのになぜ戦に参加するのだろうと不思議に思ったものだ。誤解を恐れず書くと、おそらくそれらは仏教のようなものでしかない。南無阿弥陀仏と唱えることで極楽浄土に行けると本気で思う人は今の時代殆ど居ないだろう。

 

現在の私の認識では、禅は本来の仏教の目的に合致しているように思える。禅は実践に重きを置く。仏が悟りを開いたのは菩提樹の樹の下で禅を組んだことによるのだから、悟りの境地に近づくには言葉で学ぶより実際坐禅を組んだほうが良いという理屈だ。至極、理論的で現実的なのが現代においても世界中から興味を持たれる理由だろう。死後の世界とかにもあまり言及していないようだ。パーソナルなトレーニングのようなものだ。