卵は一番いいのを買う

高い卵は本当においしい。生でもいいし、茹でてもおいしい。美味しい卵を食べると幸せになる。卵だけじゃなくて何でも「いいもの」を買いたいと思う。今のところお金はないが。

 

両親は共働きで、私達兄弟を私立の学校にやったので生活は質素なものだった。服はいつもよくわからないダサいのを着回していたし、食事もいいものではなかった。携帯も持たせてもらえなかったし、流行りの文化、芸術にもほとんどお金を投入できなかった。いい大学に入り、就職で成功することが人生で大切だと考えていたのか、学費を払うことが最優先だったのだ。貧しくはなかったが、私はそういった生活そのものに薄っぺらさを感じていた。つまり、お金のかけ方に疑問をいだいていた。育てててもらっておいてどの口が言うのか、と言われるかもしれないが。

 

お金をかけて行った学校でもたいして得るものはなかった。進学校がよくやるスパルタ式の学習は自分には全く合わなかった。軍隊のような学校では私のような発達障害児はただ疲弊するだけであった。お金をたくさん稼ぐことから逆算して勉強しなさいという損得勘定にも吐き気がしていた。結局は自分でじっくりと本を読んだり、誰かの話を聞いてインスパイアされることでしか勉強することの原動力は生まれなかった。たちの悪いことに親は高い学費を払うことで、自分たちの子供に対する責任を十分果たしていると錯覚したし、もしテストで結果が出ないと「ここまでして学校にやっているのに、どうして勉強しないのか」という苛立ちが生まれた。

 

一人一パックの激安卵を買うために、国道沿いのディスカウントスーパーによく母に連れて行かれた。そして食卓には、どこで誰がつくったのかもよくわからない食材で作られた手料理が並んだ。勉強しろという割には朝から質の低い情報番組をみて、夜には下品で低俗なお笑い番組をゲラゲラと笑う両親がいた。わたしはただただ生まれた家を間違えたと思った。

 

衣食住の質素さは心の貧しさにつながると思う。両親もこのチープな資本主義社会の犠牲者だ。安くて質の低いもので回る経済にはうんざりだ。イノベーションも起こらず社会は進歩しないし、さらに心も貧しくなる。いいものを適正な価格で売る。生産者だけでなく、消費者である我々もきっちりと見極めてそれ相応の対価を支払う。そして全ての勉強は目先の薄っぺらい損得勘定ではなく、勉強そのものを楽しんで心を豊かにしたり、仲間を助けるために存在する。日本の凋落はこういった浅ましさによるものだと思う。論理的でも経済の知識があるわけでもないけど直感的にそう思う。すべてはつながっている。お金がなくても卵だけはいいものを買いたい。